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清岡 正彦/Masahiko Kiyooka

 

Artists’ Profile

1973年高知県生まれ。1999年多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。絵画から離れ、在学中より作品と作品が置かれる場所との関係性を求めた構築物を発表。以降、美術のための空間を飛び越え、重要文化財、使われなくなった学校、銭湯、倉庫などと共に、場所から新たな場所を出現させる作品を発表し続けている。近年では、中之条ビエンナーレ、所沢ビエンナーレなどに出展し、此岸と彼岸を揺れ動く事物そのものに肉薄する「作庭の根源」を試みる。洞窟現代では、発起人としてディレクションも務める。

Born in Kochi Pref. in 1973
MA in Painting, Art Research Department, Graduate Program of Tama Art University in 1999
He has presented structures seeking the relationship between art works and which sites to place them since Graduate School. From then on he kept creating art works which represented new places coming from sites without sticking to specific exhibition sites for art like using important cultural properties, an abolished school, a public bath house, and warehouses. Recently he participated at Nakanojyo Biennale and Tokorozawa Biennale and exhibited art works to shape “the root of landscaping” swaying amongst this life and eternity which closely exist. He is also working as a director of Cave Contemporary.
http://www.floatingdive.com

mem_kiyo
“ Unlimited Landscape (風景無限)” 2009

本人コメント
今回、「秘境を求めて」の展覧会を企画するにあたり、批判的に受け止めていた著書がきっかけとしてあった。

それは現代美術家のリー・ウーハン氏の「出会いを求めて―現代美術の始源」だった。その著書には、芸術表現に対し、いくつかの作品の様式性において、論述の中心に「心」の高次な現れについては、明らかに避けた思想に終始した印象があった。

心と身体、そして環境とのフィードバック関係に私たちの生はあり、その関係は切っても切り離すことのできない有機的な作用をもつものである。「出会いを求めること」とは、物理的な世界から心のもつ精神的な次元まで含め、繋がり行く、無限に近い連鎖に関わることが芸術には可能であり、その本質的な問題を避けて、現代美術を語りきることなどできない。ミッシェル・フーコーの「狂気の歴史」とは裏腹に、理性主義と意識体の産物として芸術を語ることなど、深海に浮かぶ氷山の先端を記述することに他ならない。

洞窟の中に誕生した芸術。そこは、心の住処が物質性を帯びる最も適した環境の起源だったことを思うとき、今この時代に、心―身体―環境は、どう出会う可能性が秘められているか、また芸術という観点から新たな出会い直しがどのように生成することができるのか。

その道筋には、深海に浮かぶ氷山の、その深海の通底部分にまで視野を向けなければならず、その困難さは制作と概念の双方から呼吸を持続し、自らの力で泳ぎ続けることでしか、その姿は目の前に立ち現れることはないだろう。それが今展の「秘境を求めて」という展覧会に繋がるような、非知なる領域のメッセージを、われわれアーティストは先ず始めに掴むべく動き始めたわけである。

今回のアーティストたちの作品と共に、私は、心―身体―環境のスタディ模型を作品として提示する。

作品のタイトルにした、Architectural Caveというのは、遥か彼方に存在した、洞窟と心の同期性についての、今日的な再現化を意味している。光、影、水滴、苔、土、廃墟、椅子といった特異な構成によってこの建築(のような洞窟)は立ち上がる。それは再原初化というような、極めてプリミティブな要素を兼ね備えた、理性主義、合理主義の抜け穴に相当するイメージの破れとしての模型化である。

今日、洞窟に向かってつくり出される芸術などほとんど無きに等しい。しかし、方法は違えど、洞窟と心の同期する現代性を私は志願する。私は非知なる領域として、日中の光と作品、そして、夜に向かって光と影の織りなす作品の絶え間ない変容の姿を、世界の立ち現れる瞬間として、この場所で見続け、制作を重ねていきたい。

「心の住処を求めて」